4年前のあの日、明け方雪が降り、高速道路の除雪に出ていて、その後、会議の為に三次に行きました。そして会議の最中に「東京方面で大きな地震があったらしい」とささやかれて、ふと心配になり東京の友人に電話しました。電話はつながらず、会議の後の会を早めに切り上げて帰路につくとラジオから何が起こっているのか初めて知りました。家着いた時、怖かったのか怯えた息子1号の顔は忘れる事ができません。そしてその時になって初めて映像であの黒い波を見ました。それから夜通しテレビを見て、感じて、ずっとモヤモヤしながら、開けて次の日、原発の映像を息が詰まる思いで眺めました。
やがてそれでも春が来て、いろいろ考えて、悩んで、そして始まったのが春の田植交流会でみんなで植えたお米を、東北に応援米として送る活動です。確か最初の年は大雨の中、みんなで田植えをし、米袋にメッセージを書いて送りました。それから4年後、今年のお米も先日、大阪の田守商事を通じて大阪の福祉協議会の会から東北の子供たちを応援する活動に活かしていただきました。たった4回しか送っていませんが、考えながら活動しています。出来る事をコツコツと、その種がまた明日育つ事を願って続けています。これが農家の仕事なので・・・